古舘伊知郎さんとカンブリア宮殿のスペシャルゲスト秋元康さんの交友関係

カンブリア宮殿のスペシャルゲスと秋元康さんの交友関係が面白い

放送800回記念のスペシャルゲスト、秋元康の第2弾。激流の渦の中にある時代を、

秋元はどう攻略するのか?64歳になっても攻め続ける、秋元の新たな挑戦を追った。

もはや神!!挫折をバネにする人が多い秋元康さんの交友関係

古舘伊知郎さんと秋元康さんの交流について

古舘伊知郎さんとは、『おしゃれカンケイ』、『筋肉番付』、『クイズ赤恥青恥』、
『しあわせ家族計画』など数々の番組を共作し、友人関係でもある。

[ad]

古舘伊知郎さんについて

古舘伊知郎(ふるたち いちろう)1954年12月7日生。日本のフリーアナウンサー、司会者、Youtuber、立教大学客員教授。東京都北区で育つ。

北区立滝野川第二小学校、千代田区立今川中学校(現:千代田区立神田一橋中学校)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部経済学科卒業。

1977年、全国朝日放送(テレビ朝日)にアナウンサーとして入社。同年7月には、
新日本プロレスの実況中継番組『ワールドプロレスリング』担当に配属され、
越谷市体育館での長州力VSエル・ゴリアス戦で実況デビュー。

1980年からは『ワールドプロレスリング』で山本小鉄とコンビを組む。「おーーーーーっと!」
「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」「風車の理論」「エリート・雑草逆転劇」などの独特な表現は「過激実況」と呼ばれ、アントニオ猪木全盛期、新日本プロレスの黄金期を支えた。

また、大発行部数を誇る週刊少年マガジンで連載される「異能戦士」にフルタチのキャラで
頻繁に登場し、プロレスファン以外にも知られる存在となった。

なお、フリーになった直後の1984年9月には、フジテレビ『オレたちひょうきん族』の
「ひょうきんプロレス」のコーナーに、覆面アナウンサー「宮田テル・アビブ」(宮田輝のもじり)として出演した。
「奮い立ち伊知郎」と名乗り覆面を被って出演したこともある。しかし、NGを出してひょうきん懺悔室に送り込まれ、水を被り、正体を明かした。

[ad]

古舘伊知郎さんの幼少期

母親と実姉は喋り達者であり、喋る隙さえ与えられず無口な少年だった。
小学生になっても人前で喋ることが苦手、朗読の時間は寝たふりをしていた。
小学生の頃、健康優良児を目指して食べまくった結果”無口のデブ”になった。
いつになっても越えられない優秀な実姉へのコンプレックスから出会ったのがプロレスであり、
200名以上のプロレスラーを丸暗記、そこに立ちはだかったのが母親で外国の俳優・女優の名前を全部暗記していた。

こうして始まったのが、どちらかが言えなくなるまで続ける映画俳優vsプロレスラーの記憶勝負、
この対決が喋ることへの目覚めだったとしている

中学時代からの吉田拓郎のファン。拓郎とは自身が司会を務めた『おしゃれカンケイ』
(2000年6月18日)で共演した

[ad]

古舘伊知郎さんの家族

1987年7月に日本航空の元客室乗務員と結婚。1男2女の父親。
長女は吉田明世さんの同級生であり、吉田が幼少の頃より彼女とも親交がある。
長男・佑太郎はThe SALOVERSのボーカリストを経て俳優として活動している。
娘2人はいずれも既婚者であり、彼女らの結婚式では父親の古舘が直接司会を務めた。

小学生の時に無口なデブと言うコンプレックスだらけの幼少期を過ごしていたはずが、ご自身の好きな物を追及する探求心や努力によって、その後の人生がガラッと変化したようですね。

プロレスの司会者としてインパクトがありましたが、その後のニュースキャスターだったり、
各番組の司会などの活躍で文化人としての素養を感じました。