博多華丸・大吉の華丸の舞台はいつ?

時事
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こんにちは、てくにかるです。

NHK総合『あさイチ』やバラエティー番組などで活躍の博多華丸・大吉さんですが、
芸歴も長く芸能界の交友関係も広い事から、順調に芸能活動してきたと思っていました。

しかし、デビューやブレイクするまでには、コンビ格差やライバルや後輩に先を行かれたり
東京進出まで紆余曲折があったりと決して、順風満帆では無かったようです。


そんな苦労を乗り越えて、現在の活躍があり、上質な笑いを表現しているのだと思います。

そんな博多華丸・大吉さんの経歴と俳優としても活躍する博多華丸さんの舞台情報を
紹介します。

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博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)について

博多 華丸(はかた はなまる)本名:岡崎 光輝〈おかざき みつてる〉1970年4月8日生。
福岡県福岡市早良区出身。ボケ担当、立ち位置は向かって左。

次女は元アイドルの岡崎 百々子(おかざき ももこ)

博多 大吉(はかた だいきち)本名:吉岡 廣憲〈よしおか ひろのり〉1971年3月10日生。
兵庫県神戸市生まれ。福岡県古賀市出身。ツッコミ・ネタ作り担当、立ち位置は向かって右。

博多華丸・大吉のデビューまで

運命の出会い!
2人は1989年に福岡大学へ入学した同期生で、大学入学時に2人ともお笑いをやっているサークルに
入ろうと探したところ落語研究会しかなく、そこへ所属したことで出会った


吉本興業福岡事務所創設初となるオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』

(テレビ西日本、1990年4月29日放送)に、『岡崎君と吉岡君』の名で漫才コンビとして出場。

番組での決勝出場者のうち8組中2位までが合格となり福岡吉本1期生となれる副賞があったが、

2人の結果は4位で不合格だったが、事務所立上に関し人手が足りないという理由で

優勝したコンビ『ター坊ケン坊』(カンニング竹山と田中健二が組んでいたコンビ)のメンバーだった

田中経由で福岡吉本から声がかかり、2人とも大学を中退。同年5月に1期生となる

「華丸・大吉」のコンビ名でのデビューが決まっていたが、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」

という理由で更には「さらにめでたい名前をつけよう」という意向から

『鶴屋華丸・亀屋大吉』(つるやはなまる・かめやだいきち)と命名された。

オーディションで不合格になっても吉本に入るチャンスに恵まれたり、

そのチャンスを逃さない為に大学を辞めるなど、運もありそれぞれに本気の覚悟があった。


と言う事だと思います。

自分だったら合格する実力も無く、成功するか分からない不安な状況で、

これからの自分を信じて決断するのは難しいと思いました。

この本気度や覚悟を常に持っているからこそ、ブレないのだと思います。

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博多華丸・大吉の福岡吉本時代

華丸は福岡吉本の看板芸人として、大吉はMCとしてローカル番組に出演し続け
『夜はとことん』『とことんサンデー』『華丸・大吉の鉄腕ももち』(テレビ西日本)、

『今夜も大勉強!』(RKB毎日放送)など多くのレギュラー番組を獲得し、福岡県内で中高生を中心に
トップクラスの人気を確立。

華丸・大吉は司会やMCが主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった

1999年から2003年まで『爆笑オンエアバトル』へ出演し、

13勝4敗でゴールドバトラーに認定された。

2004年4月、屋号を博多に変更し現在の芸名へ改名する。

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博多華丸・大吉の東京進出

2005年4月、3年越しの念願だった東京本社へ移籍。

35歳になってから上京、各お笑い番組のオーディションを受けるものの当時は

どの番組もフレッシュな若手が欲しいらしく、変にこなれた自分たち(華丸・大吉)は、

求められていない感があった」ため、「面白いんだけど、それが伝わりづらい」との理由で

落とされたり、10歳以上年下の審査員から「痛々しい」と言われたりなどの仕打ちを受けた。

そんな二人の姿勢が後続のベテラン芸人の目標になって『錦鯉』などがブレイクするきっかけ

を作ったのかも知れません。若いだけが世の中のニーズを満たしているとは限らないのでしょう。

博多華丸・大吉の華丸のブレイク

2005年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)の企画コーナーで華丸が
『パネルクイズ アタック25』における児玉清のものまねで優勝、一躍注目を浴びた

2006年2月、『R-1ぐらんぷり』に出場した華丸が決勝大会に進出し、

東京での看板ネタとなっていた児玉清のモノマネを「あいうえお作文」と組み合わせたネタで優勝
成し遂げた。

2006年5月19日、なかやまきんに君からの紹介で『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに
初出演。

2012年の年末には「多くの芸人に愛され、視聴者に暖かい笑いを送り続けた」との理由で、
2人に同年のアメトーーク大賞が授与された。

『THE MANZAI』優勝
2011年、コンクール形式としては第1回となる『THE MANZAI』に出場。
2014年、再び『THE MANZAI』に出場して10票中9票を獲得し、優勝に輝いた。
たけしは番組エンディングで「俺は(華丸・大吉の)ファンだからなぁ」と述べ若手芸人の漫才と
華丸・大吉の漫才の違いを、流行りの食堂と老舗の名店の味に例えて讃えた

『THE MANZAI』優勝以降
2015年にデビュー25周年。
2018年4月2日より、NHK総合『あさイチ』の2代目キャスターに就任。


新しい「NHKの朝の顔」となった。

博多華丸・大吉の芸風

博多弁を多用した漫才(主にコント漫才)をメインとして演じている。

主に華丸が惚けた言動を繰り返し大吉が窘めるようにツッコむ展開だが、

ごく稀に大吉がネガティブな発言をして華丸が困惑するという、

2人のボケとツッコミを逆転させた展開になることもある。

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博多華丸さんの舞台情報

博多華丸がタップダンス、和太鼓に挑戦「羽世保スウィングボーイズ」

10月23日(日)~10月28日(金)まで、東京・明治座で上映。

あらすじ

舞台は、九州のとある港湾都市、羽世保。五代剛(博多華丸)は、
羽世保造船に勤める腕利きの溶接技師。

造船所の吸収合併や子どもたちとのすれ違いなど、彼の身の回りではさまざまな困難が巻き起こる。

そんなある夜、五代はジャズバーで出会った謎の老人と口論になり、

造船所を救い出すアイデアを閃き物語が加速する。

脇を固める豪華な俳優陣はもちろん、胸に突き刺さる和太鼓やタップダンスの音が劇場を

さらに盛り上げる。

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