【ネタバレ】『鎌倉殿の13人』で寛一郎さん演じる公暁の悲劇

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こんにちは、てくにかるです。

NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人が、最終章に入り、息もつかせぬ展開と

史実では、決してハッピーエンドとは言えない結末へと、毎週ドキドキの放送日を迎えています。

そんな、鎌倉殿の13人の寛一郎さん演じる公暁についてまとめてみました。

また、寛一郎さんについても調べてみました。

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寛一郎さんについて

寛 一 郎(かんいちろう)本名 佐藤 寛一郎(さとう かんいちろう)1996年8月16日生。
東京都世田谷区出身。父は佐藤浩市、祖父は三國連太郎。
身長182cm。A型

幼い頃から父・佐藤浩市さんに連れられ映画の現場を見て育ったため映画好きだったが、

当初は俳優の道に進むことは考えていなかったそうです。

俳優になることを決意したのは18歳の時だったそうで、

高校卒業後にロサンゼルスに短期留学をしています。

2017年に満を持して俳優デビューします。恵まれた182cmと言う長身と

父・佐藤浩市さんや祖父の三國連太郎さん譲りの才能で、

個性派俳優として活躍しそうです。

寛一郎さん出演の映画

心が叫びたがってるんだ。(2017年7月22日、アニプレックス) – 田崎大樹 役
ナミヤ雑貨店の奇蹟(2017年9月23日、KADOKAWA・松竹) – 幸平 役
菊とギロチン(2018年7月7日、トランスフォーマー) – 古田大次郎 役

チワワちゃん(2019年1月18日、KADOKAWA) – カツオ 役
君がまた走り出すとき(2019年3月2日、キャンター) – 主演・五十嵐翔太 役
雪子さんの足音(2019年5月18日、旦々舎) – 湯佐薫 役
下忍 赤い影(2019年10月4日、AMGエンタテインメント) – 主演・竜 役
下忍 青い影(2019年11月15日、AMGエンタテインメント) – 竜 役

一度も撃ってません(2020年7月3日、キノフィルムズ) – 五木要 役
劇場(2020年7月17日、吉本興業) – 野原 役
泣く子はいねぇが(2020年11月20日、バンダイナムコアーツ/スターサンズ) – 志波 役
AWAKE(2020年12月25日、キノフィルムズ) – 中島透 役

ホテルアイリス(2021年、台湾 / 2022年2月18日、日本公開)- 甥 役
月の満ち欠け(2022年12月2日公開予定、松竹) – 中西 役

寛一郎さん出演のテレビドラマ

ミッドナイト・ジャーナル 消えた誘拐犯を追え!七年目の真実(2018年3月30日、テレビ東京) – 岡田昇太 役
青と僕(2018年7月10日 – 8月14日、フジテレビ) – あいつ 役
ドロ刑 -警視庁捜査三課- 第3話(2018年10月27日、日本テレビ) ‐ 河原順平 役
リーガルV〜元弁護士・小鳥遊翔子〜 第5話 – 最終話(2018年11月15日 – 12月13日、テレビ朝日) – 守屋至 役

悪党〜加害者追跡調査〜 第2話(2019年5月19日、WOWOW) – 早見剛 役
グランメゾン東京(2019年10月20日 – 12月29日、TBS) – 芹田公一 役

ゴシップ#彼女が知りたい本当の○○(2022年1月6日 – 3月17日、フジテレビ) – 笹目虎太郎 役
プリズム(2022年7月12日 – 9月13日、NHK総合) – 荒木剛 役
オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ シーズン2(2022年9月20日 – 10月4日、NHK総合)
大河ドラマ 鎌倉殿の13人(2022年、NHK) – 公暁 役

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公暁(こうぎょう)について

源頼家の次男。母はつつじ。父の無念を晴らすため日本史上に残る大事件を引き起こす。

公暁(くぎょう / こうきょう / こうぎょう)正治2年〈1200年〉 – 建保7年1月27日〈1219年2月13日〉は、鎌倉時代前期の僧侶。鎌倉幕府2代将軍源頼家の次男

母は『吾妻鏡』によれば足助重長(加茂重長)の娘の辻殿(鎌倉殿の13人の設定)

公暁の母の所説『尊卑分脈』などによれば幡の母と同じく比企能員の娘若狭局
縣篤岐本『源氏系図』によれば三浦義澄の娘

一幡は異母兄または同母兄、栄実は異母弟または異母兄、

禅暁は異母弟または同母弟、竹御所は異母妹または同母妹にあたる。

幼名は善哉(ぜんざい)

公暁(こうぎょう)の生い立ち

実の父である将軍頼家は建仁3年(1203年)9月の比企能員の変によって鎌倉を追放され、
翌年一幡が4歳の時に北条氏の刺客によって暗殺されました。

建永元年(1206年)6月16日、7歳になった善哉(ぜんざいー公暁の幼名)は

若宮の別当坊より祖母である尼御台北条政子の邸に渡り、着袴の儀式を行う。

建永元年(1206年)10月22日、乳母夫である三浦義村に付き添われ、

政子の計らいによって叔父の3代将軍源実朝の猶子(ゆうし)となりました。

猶子(ゆうし)とは実親子ではない2者が親子関係を結んだときの子 を言います。

建暦元年(1211年)9月15日に12歳で鶴岡八幡宮寺別当定暁の下で出家し

翌日には受戒のため上洛する。園城寺において公胤の門弟として入室し、

貞暁の受法の弟子となりました。

はじめは頼暁という戒名を受け、公胤の弟子となってからは公暁に

戒名建保5年(1217年)6月20日、18歳で鎌倉に戻り、

政子の意向により鶴岡八幡宮寺別当に就任しました。

建暦元年(1211年)10月11日からは裏山で千日参篭をおこなったそうですが、

自分も将軍(鎌倉殿)になる資格はあると考え、

実朝の死を願っていたのではないでという説があるようです。

翌年建保6年(1218年)12月5日、公暁が鶴岡に参籠して

退出しないままいくつかの祈誓を行っていますが、

一向に髪を下ろす事もしないので人はこれを怪しんだといいます。

伊勢太神宮や諸社に奉幣する使節を送った事が将軍御所で披露されているそうです。

実朝暗殺

建保7年(1219年)1月27日、雪が約60cmほど降りしきるなか、

実朝が右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮に参詣しました。

夜になって参拝を終えて石段を下り、公卿が立ち並ぶ前に差し掛かったところを、

頭布を被った公暁が襲いかかり、

下襲の衣を踏みつけて実朝が転倒した所を「親の敵はかく討つぞ」と叫んで頭を斬りつけ、

その首を打ち落としたそうです。

同時に3、4人の仲間の法師が供の者たちを追い散らし、源仲章を北条義時と間違えて切り伏せました。

そして『吾妻鏡』によると、八幡宮の石段の上から「我こそは八幡宮別当阿闍梨公暁なるぞ。

父の敵を討ち取ったり」と大音声を上げ、

逃げ惑う公卿らと境内に突入してきた武士達を尻目に姿を消したそうです。

公暁は実朝の首を持って雪の下北谷の後見者・備中阿闍梨宅に戻り、

食事の間も実朝の首を離さず、乳母夫の三浦義村に使いを出し、

「今こそ我は東国の大将軍である。その準備をせよ」と伝えたそうです。

義村は「迎えの使者を送ります」と偽り、北条義時にこの事を告げます。

義時は躊躇なく公暁を誅殺すべく評議をし、義村は勇猛な公暁を討つべく長尾定景を差し向けました。

叔父である第3代将軍源実朝を「父の仇」として暗殺しましたが、

公暁は討ち取られてしまいます。

公暁は実朝の猶子であったため、義理の父親を殺害したことになります。

『鎌倉殿の13人』では、山本耕史さん演じる三浦義村や

義時の策にハメられているような雰囲気を感じます。

公暁の最期の様子

公暁は味方と信じる義村の迎えが来ないので、1人雪の中を鶴岡背面の山を登り、

義村宅に向かう途中で討手に遭遇します。

討ち手を斬り散らしつつ義村宅の板塀までたどり着き、

塀を乗り越えようとした所を討ち取られました。享年わずか20歳です。

公暁の墓は現存しないようです。

墓所についての史料も存在しないようです。

かつて鶴岡八幡宮には「公暁の隠れいちょう」

と呼ばれるイチョウの大木が立っており、

公暁がこの樹の陰に潜んで実朝を襲ったという伝説と共に親しまれていましたが、

この伝説が知られるようになったのは江戸時代になってからの事であり、

当時の史料にはない話だそうです。

このイチョウは2010年3月10日の強風によって倒壊しました。

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「公暁の隠れいちょう」の場所

鶴岡八幡宮の大イチョウ(神奈川指定天然記念物)

2010年3月10日倒伏

神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

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寛一郎さん演じる公暁(こうぎょう)についてまとめ

史実の通りであれば、公暁は野心家と言うより自身の宿命や使命として鎌倉殿と言う地位を掴む事が、

己の正義だったのかと思います。

若干20歳の真っ直ぐな若者は、周りの老獪な大人達にとっては

利用しやすい操り人形のような存在だったのかも知れません。

ドラマでは、これから公暁におきる悲劇が、不憫でなりません。

そんな悲劇に向かう公暁を寛 一 郎さんがまっすぐに演じていてドラマを見ていると

心が痛みます。

予想される結末ながらドラマの展開や描かれ方が気になります。