2023年12月29日、お笑い芸人の坂田利夫さんが老衰で亡くなりました。多くの人に愛されながら、その生涯を終えた坂田利夫さん。
今回は坂田利夫さんの人生について振り返りました。
1961年、吉本入り
幼少期からクラスの人気者で目立つのが好きだった坂田利夫さんですが、高校卒業後一度は一般の仕事を始めます。9歳の時に台風の影響で自宅や父が営んでいた工場が流されてしまい、家計が苦しかったため「親孝行したい」という思いは強かったそう。ですが、どの仕事も長くは続かず、次第に「芸能界に入って親孝行したい」と思い始めます。そんなある日、テレビ画面に映った「吉本新喜劇研究生募集」の文字を見てオーディションを受けることに。最初は不合格だったものの、花菱アチャコさんに「あの子は何か持っている」と推挙され、合格者十五人のうちの一人となりました。
「アホの坂田」の愛され人生 新喜劇座員から漫才師へ、ヒットの〝代償〟に葛藤も…最後は〝尼寺〟でお葬式 (msn.com)
漫才コンビ「コメディNo.1」として人気者に
新喜劇ではあまりいい役を貰えず、苦労も多かった坂田利夫さん。盟友、西川きよしさんに漫才転向を勧められた坂田利夫さんは、新喜劇の先輩である前田五郎さんから声をかけられ、漫才コンビ「コメディNo.1」を結成、関西で人気者となりました。同コンビは上方漫才大賞新人賞、NHK上方漫才コンテスト優秀話術賞、上方お笑い大賞金賞など様々な表彰を受けるなど、そのネタも高く評価されましたよ。
「アホの坂田」の誕生
坂田利夫さんと言えば、「アホの坂田」などのキャラクターで有名。これも漫才の中で生まれたもので、なんでも舞台の中で相方から「お前アホやろ」と言われたところ、「うん、アホや」と肯定してみたらそれがバッとウケたのが始まりだったそうです。シングルレコード「アホの坂田」は6万枚を売り上げるヒットソングになるなど、坂田利夫さんはそのアホキャラで世を席巻することとなりました。
アホキャラに対する様々な問題も
坂田利夫さんのお母さんは息子がアホと呼ばれることにひどく抵抗があったらしく、共に食事をしていた時に学生の団体から「アホや!」と絡まれた所、お母さんが生徒たちに「そんなん言わんといて!」と怒鳴ることもあったそう。その姿を見て坂田利夫さんは「親にまで迷惑掛けてんのか」と胸を痛めていたそうです。また、教育委員会から「名字が『坂田』の子が学校行ったらいじめられる」と苦情を言われたこともあったのですね。
生涯独身を貫いた坂田利夫
人気者のお笑い芸人ですから、女性からモテる側面もあったであろう坂田利夫さん。ですが、女性を紹介されても照れてしまってあまり進展しない性格だったそうです。また、「結婚して子どもができたら『アホの子や』言われるかもしらん」と語ったことも。「年取ったら一人は寂しい」と、決して結婚願望がないわけではなかった坂田利夫さんですが、先述の坂田姓の子どもが虐められてしまうというエピソードもあわせて、芸人として、「アホ」として生きていく以上、家族を持つということはできなかったのかもしれません。
間寛平夫妻に看取られ天国へ
年を経ても活動を続けていた坂田利夫さんですが、晩年はどうしても芸人としての活動は減っていきました。そんな中でも、親交のあった間寛平さんのSNS投稿などで近況は伝えられており、2022年4月に行われた吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」にも出演していました。2023年12月29日、82歳で老衰のためにこの世を去った坂田利夫さん。最期の時には、その側には間寛平さん夫妻がついていました。これからも、坂田利夫さんが残した数々のギャグなどのお笑いは、いつまでも愛され続けていくことでしょう。
お笑い芸人・坂田利夫さん死去 去年7月の「さざなみ寄席」への出演が最後の舞台に(2023年12月31日) (youtube.com)
最後に
今回は坂田利夫さんの人生について振り返りました。
著名人の訃報はどうしても悲しい気分になってしまいますよね。そんな時こそ、坂田利夫さんの残してくれたお笑いで笑いたいです。
坂田利夫さんのご冥福をお祈りします。