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放送800回記念のスペシャルゲスト、秋元康の第2弾。激流の渦の中にある時代を、
秋元はどう攻略するのか?64歳になっても攻め続ける、秋元の新たな挑戦を追った。
もはや神!!挫折をバネにする人が多い秋元康さんの交友関係
寺田恵子さんと秋元康さんとの交流
メタルバンド・SHOW-YAの作詞を手がけたことがあるが、寺田恵子さんと
言い争いになったことがある。
寺田恵子さんについて
寺田恵子(てらだ けいこ)1963年7月27日生。千葉県船橋市出身 シンガーソングライター、
ロックバンドSHOW-YAのボーカル。
影響を受けた歌手はカルメン・マキ、アン・ルイス。小学生の頃、カルメン・マキ&OZの「私は風」
を聴いて自分と声が似ていることに感動し、漠然と歌の仕事がしたいと思うようになったという。
他、洋楽アーティストで影響を受けたのは、オジー・オズボーン、ローリング・ストーンズ、
ビートルズ、レッド・ツェッペリン、シンディ・ローパー、パット・ベネター、レナード・コーエン。
しかし、物心ついた時には邦楽中心に聴いていたという。
高校生の頃までは声の高さはソプラノで、高校時代の先生にはその声の高さから合唱部入りを
勧められたこともあったが、カルメン・マキへの憧れから、枕を喉に当てながらシャウトしたりして
声を潰していったという。
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寺田恵子さんのバンド活動
1985年SHOW-YAのボーカリストとして、「素敵にダンシング」でデビュー。
1991年SHOW-YAを脱退。
2005年自身の呼びかけでSHOW-YAを再結成。
脱退した直後は、音楽を聴くのも嫌になったということで、実家で家事手伝いをしていた他、
普通に就職することも考えていたという。ある日、友達と一緒にカラオケに行った時に、
友達にSHOW-YAの曲「限界LOVERS」を選曲されて、本人曰く「無理矢理歌わされた」と
いうことだったが、これを歌った時に急に涙が出てきて、「やっぱり私は歌(SHOW-YA)が好きだ」と再認識したという。
そして寺田は元メンバーたちひとりひとりに頭を下げ、5年かけて説得し続けた末、
SHOW-YA再結成に至った。
女性バンドの先駆けとして活躍した寺田恵子さん。
当時は女性に対してステレオタイプの価値観がある中で夢や目標に向かって突き進んだ
バイタリティーある方だと思います。
激しい性格のようで、バンドの脱退など経験していますが、粘り強く長期間に渡り迷惑をかけた
仲間を説得して再結成に至るなど、情熱と素直な心があるようです。
寺田恵子さんの年齢を感じさせないビジュアルは日々の努力だと思います。
寺田恵子さんに影響を受けた女性アーティストは多数居ると思います。