【5 長友佑都】2022サッカーワールドカップの代表メンバー

スポーツ
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こんにちは、てくにかるです。

サッカーワールドカップカタール2022が開催されました。

代表争いを勝ち抜いたサムライブルーについて紹介します。

4度目のW杯選手権日本代表に選出された長友佑都選手についてまとめてみました。

『ブラボー!』は、様々なところで叫ばれましたね。

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サッカーワールドカップ2022の日程

日本代表の試合日程グループE

対 ドイツ戦  11月23日(水)22:00~(第1節) ドイツ1ー2日本

対 コスタリカ戦  11月27日(日)19:00~(第2節) 日本0-1コスタリカ

対 スペイン戦  12月2日(金)4:00~(第3節) 日本2-1スペイン

日本代表の試合日程決勝ラウンド16

対 クロアチア 戦  12月6日(火)0:00~ 日本(1)1-1(3)クロアチア

長友佑都選手について

長友 佑都(ながとも ゆうと)1986年9月12日生。愛媛県東予市(現:西条市)出身。
Jリーグ・FC東京所属。ディフェンダー、ミッドフィールダー。身長170cm。

西条市立神拝小学校→西条市立北中学校→東福岡高校→明治大学政治経済学部

父の実家は大きな新聞販売所を経営しており、

父方の祖父母の家で三世代で暮らしていました。

小学1年生の時にサッカーを始めました。

小学3年生の頃に両親が離婚し、母の地元西条市の実家近くへ引っ越しました。

長友佑都選手の家族

スポーツ一家の第二子長男(一つ上の姉と二つ下の弟がいる)。

母方の祖父は第1回小倉競輪出走者である元競輪選手の吉田達雄。

達雄の弟で同じく元競輪選手の吉田実は大叔父にあたります。

父方の祖父は明治大学出身の元ラガーマン。

妻は平愛梨さん、平愛梨さんとの間に三子がいます。

2022年にベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞。

長友佑都選手の経歴

2005年、明治大学サッカー部入部。

神川明彦監督によって右サイドバックへコンバートされた。

入部早々に発症した椎間板ヘルニアを再発。

試合に出場できずスタンドで応援する日々が続きました。

2006年椎間板安定の為に腰周りの体幹筋を鍛えたことも奏功し、

復帰後3試合ほどで神川監督が「別格」と評するほどのプレーを見せるようになったそうです。

2008年大学卒業を待たずしてプロに進むことを決意。

在学したままサッカー部を退部してFC東京と正式契約を結びました。

プロ契約を決断した理由として、

「女手一つで自分を含む3兄弟を育てる母に経済的に早く楽をさせたかった」そうです。

岡田武史率いる日本代表に初招集され、

5月24日のキリンカップコートジボワール戦に代表としてフル出場しました。

2009年この年のJリーグベストイレブンにも選出されました。

2010年南アフリカワールドカップでは、全4試合に左サイドバックでフル出場し、

日本代表の決勝トーナメント進出に大きく貢献しました。

この活躍により地元の愛媛県から愛媛県文化・スポーツ賞を授与されました。

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長友佑都選手の所属チーム

 FC東京 2008-2011

ACチェゼーナ 2011-2011

インテルナツィオナーレ・ミラノ 2011-2018

ガラタサライSK 2018-2020

オリンピック・マルセイユ 2020-2021

FC東京 2021-

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長友佑都選手についてまとめ

チェゼーナでチームメイトだったジュゼッペ・コルッチは

「長友は日本人なんかじゃない。あれはラテンの血が混ざってる。むしろイタリア人だよ」

と語っていたそうです。

愛媛県東予市で育ち、サッカーをしながらもプライベートでは様々な経験をして、

どんな環境でも対応できる適応能力を身に着けていったのでしょう。

今回の大会でも今までの経験を生かして、

重要な役割を担ってプレーするのではないでしょうか。

https://youtu.be/sKl1qkFmQZA

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