2022世界バレー女子1次ラウンド「日本×ブラジル」眞鍋監督の采配で勝利。今後の試合日程

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4年に一度、バレーボール真の世界一決定戦『2022世界バレー』眞鍋ジャパンは勝てば
2次ラウンド進出が決まる!オリンピックを2度制したスター軍団ブラジルとの大一番

日本女子は『Break through』ブレイクスルー“世界への突破口を見出そう”というスローガンを掲げ
12年ぶりのメダル獲得を目指す!1次ラウンド第4戦目は、東京五輪銀メダル南米の強豪ブラジル!

東京五輪銀メダルのブラジルを3-1で破って!!3勝目(1敗)を挙げ、同組4位以内が確定し、1試合を残して2次リーグ進出を決めた。

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出場メンバー

内瀬戸 真実
古賀 紗理那
石川 真佑
島村 春世
井上 愛里沙
籾井 あき
林 琴奈
山田 二千華
福留 慧美
横田 真未
宮部 藍梨
関 菜々巳
宮部 愛芽世
佐藤 淑乃

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眞鍋監督について

眞鍋 政義(まなべ まさよし)1963年8月21日生。兵庫県姫路市出身。身長188cm。体重87kg。
元男子バレーボール選手(元全日本代表選手)、全日本女子代表監督。

NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会理事。

出身地のプロバレーボールクラブチーム「ヴィクトリーナ姫路」取締役球団オーナー。

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眞鍋監督の現役時代

姫路市立白鷺中学校入学時に担任教師の勧めで野球部からバレーボール部に転部する。
中学校時代はエーススパイカーとして活躍。大阪商大高校に進学後セッターに転向。
1年生からレギュラーセッターとして活躍し、インターハイ優勝に貢献した。


大阪商大進学後は、西日本インカレ・関西リーグ完全優勝(1回生から4回生まですべて優勝)を経験。1985年神戸ユニバーシアードに出場し、同年全日本代表に初選出され、1985年ワールドカップに出場した。

1986年、新日本製鐵に入社。1年目からレギュラーで活躍し新人王を獲得。
その後も日本リーグ3連覇・黒鷲旗3連覇など、新日鐵黄金時代に中心選手として貢献。
全日本代表としても、1988年のソウル五輪など数多くの国際大会に出場。
日本を代表するセッターとして活躍した。
1993年からは新日鐵の選手兼任監督に就任。第3・4回Vリーグでのリーグ連覇に導いた。

1999年、新日鐵を退社。イタリア・セリエA・パレルモに移籍。2000年に帰国し、旭化成に入団。2002年、松下電器へ移籍したのち、2004年、旭化成に復帰した。
2004年、選手を続けながら、社会人特別選抜で大阪体育大学大学院スポーツ科学研究科に入学し、翌2005年、論文「バレーボールのセッターのトス回しについてのゲーム分析的研究」で修士号取得。

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眞鍋監督の指導者として歩み

2005年、現役引退。同年、女子の久光製薬スプリングス監督に就任。
1シーズン目からVリーグ準優勝となり、黒鷲旗では初優勝をもたらした。

2007年、2006-07プレミアリーグで久光を5シーズンぶりの優勝に導き、自身は高校及び新日鐵の先輩でもある柳本晶一(男子:新日鐵、女子:東洋紡)に次いで2人目の男女チーム優勝監督となった。

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日本女子代表監督

2008年12月、全日本女子代表チームの監督に内定(18人の応募者の中から、達川実との2人に絞られ、プレミアリーグ監督会の推薦を受けた眞鍋が選ばれた)。

体制発足当初から、指導担当の分野を細分化し、川北元ら4人のコーチに任せる方式を採用し、
継続した。また、前監督時代から受け継いで渡辺啓太をアナリストに起用した。

2010年11月の世界選手権(世界バレー)では、試合中iPadを手にしながら選手に指示 し、
自らが掲げる「IDバレー」でチームを采配。
日本は3位銅メダルを獲得した(同大会で32年ぶりとなるメダル獲得)。


チーム方針として、スパイクの「決定率」よりもミスや被ブロックの少ない「効果率」を重視し
まず「サーブ」「サーブレシーブ」「ディグ(レシーブ)」「失点を少なくする」の4点だけは世界一になろうと選手にずっと言い続けていった。

世界最終予選をギリギリ通過し計2選手を入れ替えて(岩坂と平井が脱落)臨んだ2012年のロンドン五輪には、相手のデータ分析をかく乱するため、選手12人中10人の背番号を変更した。
日本は3位銅メダルを獲得した(五輪で28年ぶりとなるメダル獲得)。

代表監督再任が正式決定したし眞鍋は「リオデジャネイロオリンピックで金メダルを目指す」と意気込みを語った。

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リオ五輪出場決定後の歩み

最も重視したポイントは目に見えない力も踏まえて「チームワーク」とも眞鍋は語った。
8月の本戦では「前回よりもいい色のメダル獲得」を目指したが、準々決勝でアメリカに敗れた。


2016年10月、バレーボール全日本女子の次期監督の候補の一人として推薦されたが辞退し
退任した(後任は中田久美)。
2021年10月、中田久美の後任として監督に復帰することが発表された。

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眞鍋 政義監督の所属チーム履歴

1986年-1998年 新日鐵ブレイザーズ(現・堺ブレイザーズ)
1999年 イベコ パレルモ(イタリア・セリエA)
2000年-2001年 旭化成スパーキッズ
2002年-2003年 松下電器パナソニックパンサーズ
2004年-2005年 旭化成スパーキッズ

眞鍋 政義監督の受賞歴

1989年 1989年ワールドカップ – ベスト・セッター賞、ベスト6賞
2017年 ミズノスポーツメントール賞

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眞鍋 政義監督まとめ

大阪商業大学附属高でインターハイ優勝。大阪商業大時代にユニバーシアード優勝。
1986年、新日本製鐵に入社すると、1年目からレギュラーセッターとして活躍し新人王を獲得するなど、その後の新日鐵黄金時代を築いた
1985~2003年全日本代表、88年ソウルオリンピック出場、イタリアセリエA挑戦など、日本を代表するセッターとして長く活躍したが、05年に現役引退。同年、久光製薬スプリングス監督に就任し、09年からは全日本女子代表の指揮を執った。
2010年の世界選手権では、試合中iPadを手に緻密なデータ分析をしながら指示を出す「IDバレー」で同大会32年ぶりのメダルを獲得(銅メダル)12年ロンドンオリンピックでは28年ぶりとなる銅メダルをもたらした。
16年リオデジャネイロオリンピック後に代表監督を退任し、
同年12月、ヴィクトリーナ姫路(株式会社姫路ヴィクトリーナ)のゼネラルマネージャーに就任した。

2021年、再び日本代表監督に就任。パリオリンピックに向けて手腕を振るう。

現役を退いた後は、指導者として女子チームの監督としての印象が強いですが、
講演会の講師やプロチームのオーナーなど多彩な顔があります。
バレーボール界への貢献度は大きいと思います。
厳しさの中で結果を出す事へ導く合理的な思考が、根性論から来るパワハラとは違う指導に結びついているようです。
 

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2022世界バレー女子今後の日程

一次ラウンド  「日本×アルゼンチン」10/2 21:00

二次ラウンド「日本×ベルギー」2022/10/4 20:57

二次ラウンド「日本×イタリア」2022/10/5 21:00

二次ラウンド「日本×プエルトリコ」2022/10/7 20:57

二次ラウンド「日本×オランダ」2022/10/9 22:15頃

準々決勝「日本×ブラジル」2022/10/12 03:00

ライブ配信はparaviで、見逃し配信はTVerで視聴できます。