カンブリア宮殿で秋元康さんの経歴は現代を生きるヒントになる?

芸能
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放送800回記念のスペシャルゲスト、秋元康の第2弾。激流の渦の中にある時代を、

秋元はどう攻略するのか?64歳になっても攻め続ける、秋元の新たな挑戦を追った。

秋元康さんについて

秋元 康(あきもと やすし)1958年〈昭和33年〉5月2日生。放送作家、作詞家、音楽プロデューサー。東京都目黒区大橋出身。

中央大学文学部中退。妻は元アイドルの高井麻巳子。株式会社秋元康事務所所属。
日本映画監督協会会員。2010年6月、日本放送作家協会理事長に就任。

2016年4月、代々木アニメーション学院名誉学院長兼総合プロデューサーに就任。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事。

株式会社KeyHolder特別顧問。

株式会社Fanplus特別顧問。

とんねるずのブレーン・プロデューサーとして世間に認知されて以降、ジャンルを問わず
多数の楽曲の作詞を手掛ける。
2000年代以降は、AKB48グループや坂道シリーズのプロデューサーとしてほとんどの
楽曲の作詞をしている。

有名過ぎて現代の影の実力写のイメージがありますが、以外に若いので驚きです。
凄くエネルギッシュに活動しているというイメージがあります。
9歳差の奥様はアイドルだったんですね。

また、大学を中退しているようですが学業よりも仕事が忙しくなった為かと思われます。
若い時から天職に出会えるなんて素晴らしいですね。

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秋元康さんの生い立ち

サラリーマン家庭の2人兄弟の長男である。喘息を患い、小学1年生の時に保谷市(現・西東京市)に
引っ越し、西東京市立中原小学校へ入学した。大蔵官僚を志望し、開成中学校を受験するも不合格と
なった。
親の勧めもあり中央大学附属高等学校に進学。高校2年生の時、そろそろ勉強しないと東京大学に入学
できないと思い、受験勉強を開始した。

小さな時から大きな目標があって、様々な挫折があったにも関わらず目標とは違う道に行ったよう
ですが、その時々を精一杯生きてきているから創作活動に行き詰まりが無いのですね。

今と時代が違うと言えばそれまでですが、成功しているYouTubeの方達も同じようなエネルギーを
感じます。創作活動を続けられるヒントがこの番組から貰えるかも知れません。

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秋元康さんの作詞家の活動・おニャン子クラブのブレーンとしての活動

1981年、フジテレビ系で放送されたアニメ『とんでも戦士ムテキング』の
挿入歌「タコローダンシング」で初めて作詞家としてクレジットされる。

アーティストに初めて提供した作品は、Alfeeのシングルレコード「通り雨」(1981年10月21日発売)のB面「言葉にしたくない天気」である。
これ以降、作詞家としても活動を開始した。1982年の稲垣潤一「ドラマティック・レイン」、
1983年の長渕剛「GOOD-BYE青春」で作詞家としての知名度を獲得した。

1985年からは女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の楽曲を手掛け、全楽曲の作詞を担当した。

後に総合プロデューサーとして関わるAKB48とは異なり、おニャン子クラブは先述の
『夕やけニャンニャン』が最初にありきで、秋元自身は、おニャン子クラブについては
共同作業であるとし、自分は仕掛け人ではないと説明している

1988年、おニャン子クラブのメンバーだった高井麻巳子と結婚した。結婚と同時に渡米し、
ニューヨークに1年半ほど滞在。
帰国後、美空ひばりの遺作となった「川の流れのように」の作詞を担当した。
これにより作詞家としての地位を不動のものにした。

いわずと知れた秋元康さんが有名になった活動です。この経験が元になってAKBが生まれたのかな?
と想像します。

おニャン子クラブのメンバーは芸能人の妻や母だったり、政治家だったりと多方面で未だに活躍して
いる方達が多いですね。

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秋元康さんのAKB48グループ・坂道シリーズのプロデュース

「AKB48グループ」および「坂道シリーズ」
2005年、KRKプロデュース代表の窪田康志、office48代表の芝幸太郎、電通らと協力し
『秋葉原48プロジェクト』を発足した。

東京・秋葉原で女性アイドルグループ「AKB48」を立ち上げ、総合プロデューサーに就任した。
2006年、AKSを、東京都港区白金台(KRKプロデュース社内)に設立し、
AKB48の運営・管理業務を行う。

秋元康さんが時代を作る為に再び立ち上がった感が強いプロジェクトでした。

モーニング娘を後から追いかけて行って抜き去って、活動範囲がワールドワイドになって
今に至っていますね。

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秋元康さんの交友関係

そんな秋元康さんの交友関係は独特の個性あふれる方達でした。

これだけ実績があるとなかなか対等にお付き合いできる人が少ないのかも知れません。

関連記事

長渕剛さんとは、長渕さんが初めてのラジオパーソナリティを担当した番組の放送作家として
知り合った。

当時は、番組構成などで意見がぶつかり、放送中に喧嘩したこともあったが、
同世代ということもあって、後に一緒に食事する間柄となった。
長渕さんは、秋元さんのことを「戦友」と語っている。
ただし、AKB48がヒットして以後、日本の音楽業界の衰退を危惧した長渕は再度ラジオ番組で
秋元さんを批判している。

古舘伊知郎さんとは、『おしゃれカンケイ』、『筋肉番付』、『クイズ赤恥青恥』、
『しあわせ家族計画』など数々の番組を共作し、友人関係でもある。


メタルバンド・SHOW-YAの作詞を手がけたことがあるが、寺田恵子さんと言い争いになったことが
ある。


小室哲哉さんとはやしきたかじんの「その時の空」で初の共作で楽曲を提供した。

作曲家・後藤次利さんとは「ゴールデンコンビ」と言われている。

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秋元康さんが関わった最近の映画

3年目のデビュー(2020年8月7日) – 企画、監修
僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46(2020年9月4日) – 企画

浅草キッド(2021年12月9日) – 企画・協力

あなたの番です 劇場版(2021年12月10日) – 原案、企画

秋元康さんが関わった最近のテレビドラマ

共演NG(2020年) – 企画・原作
あなた犯人じゃありません(2021年) – 企画
あなたの写真にはドラマがある。イチモニ劇場(2021年) – 企画プロデュース・脚本
死幽学旅行(2021年) – 企画・監修
声春っ!(2021年) – 企画・原作
漂着者(2021年) – 企画・原作・脚本
真犯人フラグ(2021年) – 企画・原案
この初恋はフィクションです(2021年) – 企画・原案
じゃない方の彼女(2021年) – 企画・原作
ユーチューバーに娘はやらん!(2022年) – 企画・原作
もしも、イケメンだけの高校があったら(2022年) – 企画・原作
吉祥寺ルーザーズ(2022年) – 企画・原作
よだれもん家族(2022年) – 企画・原案・監修
赤いナースコール(2022年) – 企画・原作
最初はパー(2022年) – 企画・原作・脚本
差出人は、誰ですか?(2022年) – 企画・原案

最近は推理系のドラマに関わっているような気がします。また、時事ネタと言うかその時々の時代が
分かるような作品を送り出しているのでアーカイブを見ると懐かしいとか時代考証になるような物まであります。
ポケベルっていつの時代だったのだろう・・・?

平凡な家庭で育ち、若い時から目標に挑戦しつつも沢山の挫折を味わって、
当初の目標とは違うものの他者から求められたニーズに答え続けた結果がここにあります。

時代の波に乗り時代を創る人になった秋元康さんの考え方はこれから生きていく上で
参考になりました。

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